リビングの祭壇に飾られた写真のなかの小谷真緒(まお)さんは、今も笑いかけてくれる。ただ、その笑顔は13年前、7歳だった小学2年生のときのまま。今年、20歳を迎えるはずだったのに……。
祭壇の下には8冊の日記帳が保管されている。幼なじみの大石かやのさん(20)が事故の2年後、4年生のときに書き始めた真緒さんとの「交換日記」だ。
同じ保育園に通い、同じ小学校で学んだ。あの日までは――。
事故は2012年4月23日朝、京都府亀岡市で起きた。通学路を集団登校していた列に、無免許運転の車が突っ込んだ。真緒さんら3人が亡くなり、7人が負傷した。
その日、学校から帰った大石さんは母に呼ばれ、事故のことを聞かされた。リビングの机の下に隠れて大泣きした。
母や友だちとお通夜に出た。見よう見まねで焼香した。身近な人を亡くしたのは初めてだったので、死がよくわからなかった。ただ、家に帰ったとき、また大泣きした。
「ほんとうに死んじゃったんだ」
翌年から命日には学校で全校集会があり、事故について校長が話した。校庭のプランターに花を植える時間もできた。
4年生になると、クラスで交換日記がはやった。大石さんも同級生と始めた。その同級生の家に遊びに行くと、真緒さんの写真が飾ってあった。
「真緒ちゃんも入れて書こうよ」
楽しかった授業や、つまらなかったことを書いた。日記の最後には真緒さんに宛てた言葉を添えた。
「まおちゃんのしょう来の夢は?」
「まおちゃんは何組だった?」
「なやみごとがあったら、ノートにかいてね」
6年生まで書き続けた日記帳は6冊になり、真緒さんの家に届けた。父の真樹さん(42)は「真緒を思い続けてくれる友だちがいて、真緒が絆を作れていたんだなと思えた瞬間でした」と振り返る。
「友だちなんだから、当たり前」
大石さんが中学校に進むと、交換日記は途絶えた。ただ、やめてしまったことが心残りで、高校2年生の4月23日、9回目の命日に書き始めた。
「真緒ちゃんを身近に感じていたい」
1月生まれの真緒さんの誕生花はマーガレット。その装飾がついた指輪をはめ、学校や旅行の思い出を書きとめた。
成人の日が近づいた24年11月、真樹さんを訪ね、新たに書き終えた2冊の日記帳を渡した。真緒さんの思い出を深夜まで語り合った。成人の日に催される式に真緒さんの写真を持っていっていいか聞くと、「いいの?」と真樹さん。
「友だちなんだから、当たり前じゃないですか」
大石さんの言葉に、真樹さんは涙が止まらなかった。
思い出したのは、真緒さんが出るはずだった小学校の卒業式。保護者席に座らせてもらったが、式のあとのホームルームには足が進まなかった。ひとり、事故現場を歩いた。
「それが悔しくて、苦しくて。なんで、こんな思いをしなければならないのか」
七五三の写真と二十歳の式典
1年ほど前から、成人の日の前撮りを勧める真緒さん宛てのチラシが家に届くようになった。振り袖を着て式に向かう真緒さんの姿を想像しようとしても、思い浮かぶのは7歳の真緒さん。
真樹さんの手元にある着物姿の写真は、七五三のときだ。青や緑の着物を着て、髪にはピンクの飾り。写真立てに入れ、大石さんにプレゼントした。
今年1月、大石さんはその写真を持って式に出た。今も家の化粧台に飾っている。
「一緒にメイクしよって話しかけながら化粧をしています。一緒にいる感じがして、元気をもらえるので」
大石さんも高校2年生のとき、事故に巻き込まれそうになった。犬の散歩中、横断歩道をわたっているときに犬が車とぶつかり、歩けなくなった。大石さんは今も車とすれ違うと足がすくむ。
「真緒ちゃんが生きていれば、めっちゃ清楚(せいそ)になっていたかもしれないし、いろんな出会いがあったかも。一緒にお酒を飲める日もあったかな。それすらもできなくなってしまったのが、あの事故です」
23日は、いつも通りに過ごすが、事故を意識しないわけにはいかない。
「真緒ちゃんが生きていた証しを思い返す日なんです」
亀岡暴走事故とは
2012年4月23日午前8時ごろ、京都府亀岡市篠町篠上北裏(しのかみきたうら)の府道で、無免許で運転する少年(当時18)の軽乗用車が集団登校中の小学生らの列に突っ込んだ。小谷真緒さん(当時7)、横山奈緒さん(当時8)、妊婦の松村幸姫(ゆきひ)さん(当時26)が亡くなり、7人が重軽傷を負った。少年は自動車運転過失致死傷と道路交通法違反(無免許運転)の罪で起訴され、懲役5~9年の不定期刑が確定した。